福岡輝栄会病院 理事長 中村吉孝さま
ー Q. ご沿革を教えていただけます でしょうか。
A. 昭和36年に私の父が診療所としてスタートしたのが創業です。今年で62年になります。父は小児科医なのですが、昭和40年代に内科病院を設立。昭和57年に今の規模の病院に発展。当時は283床の民間としては比較的大きな病院を作り少しずつ診療科を増やし、地域医療に必要な診療科を充実させていきました。
ー Q. 法人さまの特徴や魅力を教えてください。
A. 福岡輝栄会病院は、ケアミックス型という、一般救急、リハビリ、療養の混在型病院です。具体的にはベッド数の半分位が急性期病床、残りの半分の3分の1が回復期リハビリ病棟、3分の1が地域包括ケア病棟、3分の1が療養病棟の配置になっております。
トリニテ松崎館は、小規模多機能とサービス付き高齢者住宅とグループホームの機能が3つ重なったような複合施設施設です。トリニテ千早館は半分以上がサービス付き高齢者住宅です。医療法人輝栄会の直轄で運営をしているところに安心感も感じていただいているのかなと思います。
ー Q. 地域の皆様から選ばれる理由を教えてください。
A. 60年以上にわたって地域で地道にやってきたということ。また、民間病院であるため、住民の方、地域に近い存在であると思います。
ー Q. 人材育成へのテーマ、想いについて教えてください。
A. 私が平成3年に実家である中村病院に戻ってきた時には、職員数が200人超えるか超えないかくらいの規模で、チーム、職員を引っ張るような人材がおらず、父と私でなんとか大車輪で切り回す感じでした。職員が多くなればなるほどマネージメントをしないと質が上がらないものです。私のこの30年間は、診療に力を注ぐのと同時にリーダー作り、組織作りを頑張ってきたというのはあります。
ー Q. 理事長 中村吉孝さまが医師となり、家業を継がれた経緯について教えてください。
A. 私の専門は腹部外科です。医師になって最初の2年間研修医としての修行の時期があり、その後、消化器外科の様々なトレーニングを福岡大学病院をはじめいくつかの病院で受けて、7年目に実家である中村病院、現在の輝栄会病院に戻ってきました。
私は、子供の頃から医者になるということになっていました。親のマインドコントロールでいつのまにか医者になるんだというレールがあって、レールを外れずに知らぬ間に医師になっていたという感じですね。
両親は、父が小児科医、母が内科医でした。救急車も受ける病院でしたのでどうしても外科系の医師が必要なのですが、外科系の医師というのはなかなか招聘するのが難しく、外科に入局してくれという依頼が親からあり、外科医の道に進むことになりました。本当は内科医になるつもりだったのですが、福岡大学の外科に入局したという流れです。
ー Q. 様々な社会課題に対して、どのように対応されていらっしゃいますか?
A. 本来の法人の主目的である地域の住人の健康を支えること。これをできるだけ充実させながらちょっとでも地域に貢献できることがあれば考え取り組むということではないかなと思ってます。
ー Q. 今後の御展望について教えてください。
A. 民間病院経営はなかなかにしんどい仕事です。今の医療の制度の流れの中心というのは、大学の医局と公立病院になるべく優秀なドクターを割り振っている。しかし、疲れたから民間でいいやというドクターが、中心エリアから離れて就職するというような、日本の医療システムというのがある。その中においても特別に、民間ですごい力を発揮してる病院というのも全国いくつかあります。公立病院に行くぐらいだったら民間病院のトップを目指すというようなドクターが就職してくれば輝栄会病院は輝きを増すと思います。次の理事長の時代のことかもしれませんけれどもなるべく良い形で発展できるようにという土台作りを頑張らないとと思っています。
ー Q. 医療業界、社会福祉業界への課題についてのお考えをお聞かせください。
A. 医療はとてもお金がかかります。ことに最近の医療は大変なお金がかかります。例えば、オプジーボという薬の使用に保険は効くのですが、総額で3000万ぐらいの金額がかかります。最新の治療になればなる程、大変な費用がかかる。日本の人口が減るということは保険財政を支える人が減るということです。しっかりとした診療、世界に恥じない良い診療をしたいと思うけれども、制度的に大丈夫なのかどうかということは、やはり皆真剣に考えていかないといけないことなのではないでしょうか。